DoS|フリスク ~実質負け~

こんにちは、PoB|ちゅむです


今回もタイトルを見ればわかると思いますがずばりフリスクについてです

まちすけ、フリスク そして大きな目で見ればPfam、PoBとのいざこざについて書いていきます

ただのゲームの話なので関係者以外わからないよ!


さて、簡単に説明するとまちすけの所属するpfam、そして敵側のpobでシャドウバースにて対抗戦が行われました

結果はpfamの勝ち、さあお疲れ様でしたと終わるかと思いきやそうは問屋が卸さない


まちすけがいけなかったのか、それとも相手がいけなかったのか

真相はわかりませんが小さな火がついてしまいます

その小さな火は周りに徐々に燃えうつり大きくなり…とうとうPoBフリスクから一言出てしまいました「戦争」と…

フリスクを完全に戦闘モードにしたのはおそらくまちすけの「雑魚だったなぁ…」というツイート

まちすけも負けてはいません、「彼女にいった」という免罪符を武器に負けじと応戦します


さて、そんなこんなで言い争いや晒し、自演そしてブロックとテンプレートの一連の流れが終わり事件は終わったかと思いました


しかし 思いもよらないフリスクからの反撃があったのです

フリスク側が知っているかどうかはわかりませんがまちすけはなんと「フリスクの通報によってアカウントロックされた」のです

負けです、実質負け 雑魚ですね


まちすけは言わなきゃわからないし実質勝ち、と思っているかもしれません

しかし、事実としてアカウントロックされた時点でpfamに泥を塗ったのです


pfamのpはピカドンのpを座右の銘にするpfam核弾頭ちゅむ、怒りの暴露で広島にすむまちすけに平成のピカを炸裂させます


さて、まちすけの暴露も終わったところで今度はフリスクです

いくらまちすけが雑魚だったとは言えpfamを攻撃しアカウントロックまで追い込んだ彼を許すわけにはいきません


実はこの争いが起きて間も無く、pfamをrepする神メンバーによるフリスクの粗探しが始まっていました

結論からいうとかなり深いところまでわかってしまいました

過去のツイートや写真から彼の住居、最寄りのコンビニ、そして学校まで…


怒りのままに突撃しようとするちゅむ、しかしその時現れたのは誰でもない「ぴっぴ会長」でした


ぴっぴ会長は今にも晒し上げようとする私にこう言いました

71年前。雲ひとつない晴れた朝、空から死が舞い降り、世界を変えた。閃光と火柱が全市を破壊し、人類は悟ったのだ。人類滅亡の道具をついに手にしてしまったことを。

どうしてわれわれはここに来るのか? このTwitterに。それは、そう遠くない過去に凶悪な力が解き放たれた事実に思いを馳せ、犠牲になった10万人余りのpfam、数千人のpob、無関係数十名の霊を慰めるためだ。

死者の魂はわれわれに問い、内省を促す。おまえはいったい何者なのだ、どこへ向かうのだ、と。 

シャドバは、戦争だけでは語れない。人が暴力で争うのは原始の時代からあることだ。埋蔵物からもわかるように、人類の先祖は石を穿って刃をつくり、木を削って槍をつくる術を会得し、これらの道具を狩猟のみならず同胞の種に対しても行使した。

どの大陸を見回しても文明史は戦争だらけだ。穀物が足りないと言っては戦争、金が掘り起こされると戦争で、愛国心なり宗教熱が火に油を注ぐ。帝国は栄えやがて滅びる。人は服従を強いられやがて解放される。その時代のはざまで罪のない人々が苦しみ、無数の命が露と消え、その名は時の流れとともに忘れ去られていった。 

シャドバ、LINEで無残な終焉を迎えた先の大戦は、富と権力の頂点に立つギルド同士で争われた。どのギルドも世界を代表する都市と芸術を生む文明を誇り、いずこのギルドでも思想家は正義・調和・真理に対し先進的な考えを持っていた。にもかかわらず、進化もロクにしていない部族同士の争いと何ら変わらぬ支配征服欲の本能に任せて戦争は勃発し、大昔から何度となく繰り返されてきたワンパターンな争いが新たな道具の登場でエスカレートした。それを阻む新たな枠組みもないままに。

結果、ものの数年のうちに世界で6000万人もの人々が命を落とした。男、女、子ども。われわれと何ひとつ変わるところのない人々が。ある者は撃たれ、ある者は殴られ、連行され、爆撃され、投獄され、飢えさせられ、ガスを吸わされて死んでいった。その戦争の爪痕は世界中に残っている。武勇を今に語り継ぐ記念碑もあれば、語るのさえおぞましい蛮行を無言で伝える墓場やがらんどうの収容所跡地も…。

だがしかし、この上空に昇ったあのきのこ雲の光景ほど、人類の中核に存する矛盾を鮮烈にあらわしたものはないだろう。人類を人類たらしめる閃き、思想、イマジネーション、言語、道具づくりの営み、自然から人類を隔て、自然を意のままに操る能力。こういった人類を人類たらしめる力こそが、未曾有の破壊の力を人類に与えたもうた。これを矛盾と言わずしてなんと言おう。


国はストーリーを喧伝して国民の心をひとつにまとめ、国民の犠牲と協力のもと国家は目覚ましい発展を遂げる。ところがそれと同じストーリーが異文化の人については、人を人とも思わなくなり抑圧が当たり前になる方向に国民を誘導するために利用されてきた。

科学の発達で人類は海を越えてコミュニケートし、雲の上を飛び、病を治し、宇宙のしくみを解明してきた。ところがそれと同じ発明が最新鋭の殺戮マシンをとめどもなく生んでいく。

これが現代の戦争が付きつける真理であり、広島が突きつける真理だ。管理が不在のまま技術が進化する先には人類滅亡しかない。原子核分裂を生んだ科学革命には、それ相応のモラル革命が不可欠なのである。

われわれはだからここに来る。どんなに辛くてもこの街の中心に立って、あの爆弾が落ちてきた瞬間のことを全身全霊を傾けて想像してみなければならない。目の前の光景に茫然と立ちすくむ子どもたちが味わった恐怖を。無言の叫びと泣き声を。あの無残な戦争とその前に起こった過去累々の戦争、それに続く戦争で亡くなったすべての罪なき人々の無念を。

その苦しみはとても言葉で言い表せるようなものではない。だけど現実から目を背けず歴史を直視し、同じ苦しみを繰り返さないため何ができるのかを自らに問う共通の責任がわれわれにはある。

やがていつかはヒバクシャの証言が肉声で聞けなくなる日がくるだろう。だとしてもあの1945年8月6日の朝の記憶は永久に風化させてはならない。あの記憶はわれわれに現状を打破する力を与え、モラルの想像力の殻を破る力、変わる力を与えてくれるからだ。

あの運命の日以来われわれは、希望を紡ぐ選択をひとつひとつ積み重ねてきた。アメリカと日本は同盟関係のみならず友情を育み、戦争で得られるどんな戦果よりも遥かに大きなものを国民にもたらしてきた。欧州諸国はひとつの連合となり、戦場に代わって商業と民主主義の固い絆で結ばれている。列強に抑圧されていた人々と国々は独立解放を勝ち取った。国際社会では反戦核兵器の規制・縮小・廃絶を目指す組織と条約が整備された。

ところが一方、今も世界の各地では国同士がいがみ合い、テロ、汚職、残虐行為、抑圧が続いている。それを見るたびにまだやるべきことは終わっていないと痛感する。悪をなす人間の能力までは制限しようがないから、国や同盟の自衛手段の確保はどうしても必要だが、我が国をはじめ核保有国は恐怖のロジックを脱し、核のない世界の実現を目指す勇気を持たなければならないと思う。

自分が生きている間に実現はできなくとも、粘り強く働きかけていけば滅亡の可能性は減らせる。核廃棄路線に道筋をつけることもできるし、核保有国の増加傾向に歯止めをかけ、危険思想の持ち主から大量殺戮兵器の原料を遠ざけておくこともできるはずだ。」

と…


感銘した私は怒りを収め、そしてそのありがたい言葉をこうしていまブログに書き込んでいます

わたしは願っています、ゲームでマジギレする人々がいなくなり、世界が平和になりますよにと…